はる子の趣味部屋

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アラサー女の進撃の巨人感想



こんばんは、はる子です。

 

進撃の巨人シーズン3が終わり、振り返ってみたいのと、頭の中を整理したいと思います。

みなさん、ついに進撃の巨人シーズン3が終わってしまいました。

 

今まではシーンを振り返ったり出来ていたのですが、シーズン3では世界の全貌が明らかになり、頭を使ってたくさん考えないと追いついていけないシーンが多々ありました。

自分でもメモをたくさん取って何がどうなっているのか把握しようとしていた形跡があるのですが、私は頭の中を整理するのがあまり得意ではないようで…(笑)

個人的に感じたシーンについてお話したいと思いますね。

 

まず最初に語らなければならないのは、なんと言ってもエルヴィンです。

私は本当にエルヴィンが死ぬとは思っていなかったので、岩があたってもなお「まだ生きているはず」と信じていました。結果、生きていたんですけどね。

シーズン3を全て見たあと感じたのは

「エルヴィンならどうするだろう?」

という疑問。

巨人を討伐し、その生態を探るための兵団が調査兵団でしたが、今後は海の向こうにいる人類を相手にしなければならない。

その時、エルヴィンならどんなことを考え、どう戦うのか。

これが気になって仕方ありません。

攻撃してくるのだから、こちらも戦う?

相手は同じ人間で、言葉も通じるのだから話しに行く?

それとも守りに徹する?

きっとエルヴィンは突拍子もないことを考えついて、周りの人間を驚かせたんだろうなあ、と考えていました。

寂しいけど、悲しいけど、もう過ぎてしまったことで、前を向いて進まないといけないですよね。エルヴィンの死が大きな痛手になったことは間違いないですが、我々にはアルミンがいます。

誤解しないでほしいのですが、アルミンが生き残って本当に嬉しいんです。

エルヴィンとアルミンは、究極の選択だったと思います。あれを選べと言われたリヴァイの心情が穏やかではなかっただろうなと容易に分かるくらいには、究極です。

アルミンには、エルヴィンに似た才能があると以前から思っていましたし、エルヴィンもそれに気付いていた気がします。だからこそウォール・マリアでの戦いでも指揮を任せたのだと思いますし。

どちらが生き残っても、誰かの心にしこりは残ったはずです。

 

ただ。

 

勲章の授与式でフロックが言った言葉は、現場にいなかった兵士が考えてしまうことかもしれないな、とも思いました。

リヴァイがアルミンを選んだ理由として、描写を頼りに考えると、エルヴィンをこれ以上この世界に置いておくのは残酷だと感じていた気がしたのと、もう休ませてあげたいという感情がこもっていたように感じました。

エルヴィンを休ませてあげたいからアルミンに注射をしたわけではないとも思いますが、少なからずこの感覚がリヴァイにあった気はしています。

ですが、エルヴィンは調査兵団団長で、調査兵団の未来、人類の未来を考えると、巨人の歴史や世界の真実にここまで近づくことが出来たのはエルヴィンがいたからだとも思ってしまいます。

そして、アルミン。

エレンとミカサからしたら、アルミンは親友であり、失いたくない人ですよね。そして、実際に才能があり失うには惜しい人間でもあります。

私が興味深いなと思ったのは、ミカサが一度ハンジの言葉を受けて諦めたことです。

諦めたという言葉は違う気がしますが、ハンジの言う通り、みんなそれぞれに生き返らせたい人はいるんですよね…モブリットとか…はあ…

でもそんなこと出来ないじゃないですか…ミカサにガツンと響いたのはあのハンジの「誰にだって生き返らせたい人はいる」という言葉ではないかな、と思っています。

それでも諦めなかったのはエレンなのですが、エレンはアルミンの功績を叫んでいましたが、私にはその全ての叫びが私情にしか見えませんでした。個人差はあると思いますが。

エレンは、フロックが言っていた通り、少し自分に自信を持ち過ぎているところがあるのかなと思います。自分の考えが正しい、と思い込んでいるといいますか。

まっさらな状態でエルヴィンとアルミンを見たら、どちらを生き返らせた方がいいかは割と明白だと思うんですよ。

それでも「アルミンはこれをした!」「アルミンはあれをした!」と叫んでいたエレンを見て、緊迫した状況だったのにも関わらず、妙に冷静になってしまったのを覚えています。

ミカサは、状況を把握して、それがどんなに自分にとって辛い結果になるとしても、手放す勇気がある人なんだなと感じましたし、エレンはときに周りが見えなくなることがある人なんだなと感じました。もちろん、個人差はあると思います。

 

でも、じゃあリヴァイの選択は間違っていたのか?

フロックの言い分は正しいのか?

エレンは正しいのか?

 

と聞かれたら、私は正直に「分からない」と答えますね。

どの選択も、自分でその選択を選んでしまった以上は、その選択を正しいものにしなければいけないと思います。リヴァイもアルミンに言っていましたね。

アルミンは自分で選んだわけではないので、これからも苦しむことがあると思います。そんな時は、アルミンに最後まで懸けたエレンとミカサを後悔させないようにしろ、とリヴァイが言っていた気がします。

重役ですし、精神的にかなりしんどいとは思いますが、選ばれた以上はアルミンに頑張ってほしいし、踏ん張ってほしいと思いますね。

 

そして、エレンがアルミンに言いかけてやめた言葉。

「壁の外には自由が…」

シーズン3の最終話でみんなは海に着きましたが、エレンは海を実際に見てしまったことで、グリシャの記憶が本当に起こっていることだと確信してしまっていたように見えました。

シーズン1の最初の方から、アルミンは壁の外にあるとされている様々な場所や、海を見てみたいという気持ちが強かったですよね?

対してエレンは、あまりそういったものに興味を持っていないように感じました。エレンは、物語の冒頭で母親を殺されてから、巨人に対する憎悪で動いてきたように見えましたが、途中から「自由」について話すようになりましたね。

よく分からないものに自分たちの自由が制限されているのが許せない、とこのようなことを言っていた記憶があります。

エレンは自由のために戦い、アルミンは夢のために戦うという形が途中から出来上がってきた気がしていました。

そして、エレンの持つ巨人の力が自由を追い求めて進み続ける「進撃の巨人」であることが分かったときに、なるほど!と思いました。ここに繋がるのね、と。

エレンとアルミンの「目的」が違ったのだなと思った瞬間でした。

だからエレンは、夢を見ているアルミンに対して、嘘でも「壁の外には自由がある」と言えなくなってしまったのかな、と思いました。以前までは言っていましたからね。

そして、シーズン3最終話の最後の言葉に繋がっていたのかもしれません。

「向こうにいる敵を全部殺せば、俺たちは自由になれるのか」

私が恐れているのは、エレンの「自分が正しい」と思う性格です。

敵を全員殺したら自由になれるのかもしれない、という感情が、敵の情報を手に入れるたびにどんどん膨らんでいって、しまいには「敵を全員殺せば俺たちは自由になれる」と思い込んでしまうことです。

アルミンの一件で私が少し不安に思ったのはそのことでした。そしてアルミンは、おそらくその考え方には至らないであろうということと、ミカサはそのときどちらに付くのかということ。

ここで思い出すのが、シーズン3最終話で話していた新聞記者のロイという人物の発言です。

 

「私たちが巨人を恐れ、憎み、どうかこの世から消えてなくなれと願ったのと同じように、世界中の人々が我々を人ではなく有害な化け物とみなした。その結果あの地獄が繰り返されるのだとしたら…我々が死滅するまで…地獄は…終わらない…」

 

どちらも憎み合ってしまえば、残された道は1つになってしまいます。

戦争です。

でも、私たちはそれぞれの歴史を覗くことが出来ましたよね?

マーレにはマーレの、エルディアにはエルディアの歴史があり、それぞれがそれぞれの歴史を疑うことなく信じている。パラディ島の人類が、記憶を消されて王政が作った教科書を信じていたように。

嘘をついているとか、そういう次元の話ではなく、彼らはそれが「正しい」と信じてここまで生きてきたし、戦ってきたんですよね。

戦わずしてこの関係に終止符を打つには、残された道はこれまた1つ。

話すんです。

難しいかもしれないし、お互いが譲らないかもしれない。平行線になるかもしれない。

でも少なからず何かは生まれるはず。と私は思います。

私たちは今アメリカにも行けるし、アメリカ人と結婚もするし、友達にもなれます。

でも戦争をしていた時は敵国でしたし、決して忘れてはいけない事実もあります。

それでも私たちが同じ「人間」として今こうして暮らしているのは、お互いを知る機会があったからではないですかね。

敵だった時のことを忘れる必要はないし、されたこと、してしまったことは忘れるべきではないと個人的には思います。

でもその感情を負としてずっと持っていても、前には進めないんです。

だからこそ、子供の頃のグリシャが言っていた言葉が私にとても刺さったんです。

「自分とフェイはそんなことしてない、ただ街を歩いただけだ」

どこかで終わらせないと、マーレとエルディア、そして存在するかもしれない他の民族との関係も良好にはなり得ません。

エレンがそのことに気付いて「敵を倒さなくても俺たちは自由になれる」と考えてくれればいいなと願うばかりです。と、初見の時に思っていました…

少なくとも、この時点ではエレンはあれだけ憎んでいた巨人のことを「同胞だ」と認識を改めることができていますよね。

母親を殺したのが、父グリシャの前の結婚相手だと分かった今も、それでもなお巨人たちを同胞だと思える心のまま、進んでほしいです…

 

進撃の巨人を見てから、自分の視野の狭さに驚愕したんです。

常に片方のサイドからしか物事を見ることが出来ていなかった。

戦争に限らず、些細なことに見える出来事も、対立が起こればそれは少なくとも2つのストーリーがあるはずなのに、信じたい方を信じていました。というよりも、自分の感情で選んでいたかもしれません。

進撃の巨人を見て、私たちはエレンたちの視点で彼らの人生を見ていますが、それによって私は「エレンたちが正しいに決まっている。エレンたちの味方をしたい」と思っていました。

そんな時に海外のリアクターの方々の反応を見て、ハッとしました。彼らは客観的に進撃の巨人を見ていて、感情的に反応することはあるにしても、常に両方のものの見方で物語を見ていたんです。

相手の言い分も分かる、どちらが正しいか分からない。

私はどれほど偏った思考をしていたのか、思い知らされた瞬間でした。

多分、キャラクターに感情移入しすぎていたのだと思います。この子たちに幸せになってほしい、勝ってほしいと思う気持ちが強すぎて、周りに目がいかなかった。

そう聞くとエレンに似たようなところがあるかもしれませんが…(笑)自分の感情が正しい!みたいな…

それに気付かせてくれた進撃の巨人は、私の教科書であり、人生の書ならぬ人生のアニメだと思っています。だから思い入れも強い。

冗談抜きで、進撃の巨人を見てから私の価値観や考え方が変わり、対局する何かを見るたびに双方の情報を手に入れたいと思うようになりましたし、一方の言葉だけでは判断できないと思うようになりました。

だから、ありがとう進撃の巨人です。

 

シーズン4、シーズン5と、これからもみなさんと一緒に進んでいきたいと思いますが、今年でついにこの旅も終わることになると思います。

最後まで見届けたいと思いますし、自分の中でどんな感情が芽生えるのか楽しみです。そして、進撃の巨人に登場している全ての人が幸せな道を歩めるように願っています。

はあ、緊張する…

では、次回シーズン4でお会いしましょう。

 

今回も読んでいただいてありがとうございました。

 

はる子