はる子の趣味部屋

アニメ、海外ドラマ、洋画などなど語り尽くしたい系ブログです。

アラサー女の進撃の巨人感想8(後編)

こんばんは、はる子です。

 

引き続き進撃の巨人完結編前編の感想を語っていきます。

前回に引き続きネタバレの可能性があるのでご注意ください。

語ることが多すぎて感想ブログが前編、中編となってしまい今回が後編という形になりました…

でも進撃の巨人って考え出すと次々と疑問が浮かんで、その疑問の答えを考え出そうとするから止まらないんですよー…

今回で最後なのでしばしお付き合いください、よろしくお願いします。(笑)

 

進撃の巨人に対してズバリ的確な言葉を言っているなと感じたのがミュラーという人物でした。

彼の言葉がこちらですね。

 

憎しみを利用し、憎しみを育み続け、憎しみに救いがあると信じ、我々が至らぬ問題の全てを悪魔の島へ吐き捨ててきた。その結果…あの怪物が生まれ我々が与え続けてきた憎悪を返しにきた。

もしも再び、未来を見ることが叶うなら…2度と同じ過ちは犯さないと…私は誓う

 

進撃の巨人の力で見れる未来の記憶など一切無視して考えると、この言葉が的確だなと個人的には感じました。

過去のことは水に流せと言っているわけではない、というのを理解することが大切なのかなと。

忘れるのではなく、前に進む必要があるわけですよね。

マガトやエルヴィンも言っていましたが、歴史を正しく後世に残すのは難しいのではないかなと私も思っています。

教科書で日本史やら世界史やらを学びましたが、本当にその出来事がその経緯で起きたのか誰も分からない。

当時の書物が残ってたとして、それが事実を述べているのか分からないと思ってしまうんです。捻くれてますよね。(笑)

歴史はロマンだと言う人がいますがその気持ちが少し分かります。その時代に生きていた人と実際に話すことができない以上は、当時何が起きていたか私たちには知り得ないんですよね。

だからこそ、せめて自分たちの国に起きたことだけはなるべく正確に後世に伝えて「過去を未来のために活かす」ようにしていくのが理想かな、という理想論です。

ミュラーは自分たちの長きにわたる行いを失敗だったと感じているように見えましたし、それに対して反省をしているようにも見えました。

あのシーンだけ見ていると「反省が遅い、気付くのが遅い」と感じてしまいますが、ガビのときと同じで気付かないよりは良いのかなと思います。

そして何よりミュラーの言っていることって、サシャの父親アルトゥルの言葉とほぼ同じなんですよね。

子供たちは無実なんですよ。

今の子供たちが大人になって同じことを繰り返したら、アルトゥルの言う通り森から抜け出せないんですよね。

ニコロがカヤやガビに言っていましたが、抜け出せなくても抜け出そうとし続けることが大切で、つまりどうやって心に棲む悪魔と自分自身が戦うかということになってくるよなあ、と。

パラディ島を悪魔にすることで恩恵を受けていた大人がいる以上簡単なことではないでしょうが、それでもどこかで誰かが「それは違うんじゃないか」と声を上げるべきだった。

パラディ島に怒りや憎しみを与えてしまう前にそうするべきだったよなあと、たらればですが思いますね。

いやあ、進撃の巨人って興味深いですよね本当。

軽い気持ちで見れるようなアニメではなくて、答えが見つからない問いをずっと考え続けているような、自分ならどうしただろうかと考える力を備えてくれるようなアニメだなと思うんです。

いろんな方が言っていますが、進撃の巨人って教材に向いてるよなあと思います。

大人でも理解が難しいところがあるので小学生は難しいかもしれませんが、高校生なら頑張れば理解できる気がするんですよね。そして考える力や諦めない力、問題を解決するために必要なのは何なのかなど色々なことを学べるんじゃないかなって思います。

贔屓目ではなく、割と見た方はそう感じているんじゃないかなと思うのですが…どうでしょう?(笑)

 

 

でも進撃の巨人を見たあとで、自分の知らない自分が見えたというところが1番学べたところかもしれません。

私はブログを始める前は何をしても上手くできなくて、自分に自信なんてこれっぽっちもないし、人に迷惑ばかりかけている人間だと思っていたんですよ。

でもずっとやってみたかったブログを思い切って始めたことで、少し自信がついたんですよね。

それで自分が大好きなことについて語ろうと思い、進撃の巨人について自分が思っていることを周りの目を気にせず書いてみようってことで始めました。

その際に進撃の巨人を見直したことで、そのときに感じたものとは違うものが見えてきたんですよね。

私はどんなことがあっても虐殺なんて許されることじゃない、エレンどうしたの、今のエレンは怖いし嫌いだ、と思っていたんですよ。

でも見直したあとに感じたものが全く違ったんです。

散々パラディ島を傷つけておいて、今になって地鳴らしを止めよう!こんなことを続けるのはダメだ!なんて言われても、説得力のかけらもないじゃん、と。

これからは他者を大切にしよう!なんて声高に叫ばれたってエレンの母親は帰ってこないし死んだ仲間たちも帰ってこない。

なぜもっと早くにそれに気付かなかったんだ、こっちが地鳴らしを発動させて抵抗できないと知って初めて慌てているくせに、とエレンが思っていても責められないと思ったんです。

私がエレンだったとして、巨人の力のしがらみ抜きで考えたとして、地鳴らし止めるのかなと考えてみたんです。

止めないかもしれないと思ってしまったんですよ、虐殺なのに。

もしかしたら当初の計画のように限定的に地鳴らしをして世界に思い知らせるという方法を取ったかもしれませんが、それって永続的じゃないですよね。

ほとぼりが覚めたら思い出したように戦いが復活するんじゃないのかなって思ったんです。

正直、パラディ島が望むことと言えばこれ以上殺さないでほしい、関わりたくないというならそれでも良いから放っておいてほしい、とかだと思うんですよ。

それすら聞き入れてもらえないとしたら、どうしたら良いんだろうって。

ミュラーのような人が相手にいれば話は別ですが、その状況が変わらない場合はどうしたら良いのかなって。

キヨミの言葉がどれほど大切か思い知らされますが、それってお互いがその考えを持っていないと意味ないんですよね…

少なくとも自分はそういようと努力することはできますが、相手も同じとは限らないんですよね、当たり前だけど。

そうなると、いつ攻撃されても良いように準備をしておく必要があり、武器や兵器が必要になってくる。それって私たちの世界じゃんって思ったんです。

自分をエレンに当てはめてみて「世界は残酷だ」という言葉がいかに正直で正しいか思い知らされたんですよね。

私も私の悪魔と戦う必要があるのかもしれない、と気付いたんです。

進撃の巨人を見直していなければこんなこと思わなかったと思うし、見るタイミングによっても捉え方が変わると思うので、私の場合は今このタイミングで見直したことには何らかの意味があるのかなと思っています。

戦争とか、悪とか正義とか、正しいとか間違っているとか、そんなものは立場が変わればその信念すらも変わる可能性があるのだと言っている気がしました。

私はそう感じました、というだけできっと人の数だけ考え方も生まれるんですよね。

ただのアニメ、としてはとてもじゃないけど私は見れなかった。

何をしていてもふと「もしああだったら、こうだったら」と考える始末です。末期ですよねもう。(笑)

でも初めて進撃の巨人を見ようと思ったあのときの自分には、人生で初めて正しい選択をしたと言い切れるくらい感謝です。

 

 

私が気になった点だったり語りたいと思ったシーン、疑問に思ったシーンなどをつらつらと書いてきましたが、ここらで締めさせていただきます。

我ながら突拍子もないことを考えるなあと思ったり、アホなことを言っているかもしれませんが、私の内をこのブログではさらけ出しています。(笑)

見た目は普通、中身はごちゃごちゃといった感じでしょうか。

日常生活でこれをやると「変わってるね」と言われるのでコミュニケーションを円滑にするためにもある程度は隠していますが、ブログの世界でだけはさらけ出したいと思っています、ご了承ください…

進撃の巨人完結編前編が終わり、残すは後編。

その間ももしかしたら進撃の巨人についてブログにするかもしれませんが、今後は新しいアニメの感想を書いたり、日常を書いたりしていこうかなと思います。

鬼滅の刃も4月から始まりますしね。

おすすめのアニメなどがあれば教えていただけると嬉しいです。

 

読んでくださっている皆さん、ここまでお付き合いくださり本当にありがとうございます。

拙い文章にも関わらず読んでいただけることが嬉しくてここまでやってきています。

進撃の巨人ブログは少しお休みになると思いますが、引き続き読んでいただけたらと思います。

 

では、今回も読んでいただいてありがとうございました。

 

はる子