こんばんは、はる子です。
引き続き進撃の巨人完結編前編の感想を語っていきます。
前回に引き続きネタバレの可能性があるのでご注意ください。
前回はとんでもない妄想劇を繰り広げてしまってすみませんでした。
考え出すと止まらない悪い癖をブログでもやってしまった…
今回はおそらく妄想はそこまで出てこないはずなのでご安心ください。
今回まず語りたいのは飛行艇の中で座標に連れてこられたときのエレンとの会話です。
エレンは「この先100年は誰にも手出しはされない」という保証が欲しいわけではないんだろうなと感じました。
101年目に攻撃されるかもしれない。
それじゃあ意味がないということなのかなと思いました。
平和を求めているというよりも、パラディ島のみんなが安心安全に暮らせるような保証が欲しいのかもしれません。
104期のみんなは口々に「自分たちが悪かった」「気付いてあげられなくてごめん」と言っていましたが、エレンはどう感じたんでしょう。
元々、人に何と言われようが自分で決めたことは絶対に遂行するような性格だと思うので、早い段階で話し合いが行われていたり周りが異変に気付いたとしてもそこまで結果は変わっていない気がしてしまいます。
エレンが1人で何かを抱えていることに気付いて周りが寄り添う努力をしたとしても、エレンが巨人の力について全てを語ったとは思えません。
ライナーが最後に言っていたように「始祖の力を誰かに渡してしまいたい」とエレンも感じていたのだとしたら、エレンは尚更みんなには情報を共有しなかったと思います。
みんなに同じものを背負わせたくなくて、パラディ島だけは守りたくて、でもそれはみんなからは理解されなくて。
エレンがどんな未来の記憶は見たのか分かりませんが、きっとパラディ島には良くない未来が待ち受けていたのでしょう。
それをみんなと共有したとしても、それでも地鳴らしはするべきではないとみんなが言うだろうな、とエレンは感じていたのかもしれない。
それだったら1人で地鳴らしを遂行し、命懸けで止めてくるであろう自分が信頼し大事に思っている仲間に止めてもらいたい。
そう思っている可能性もゼロではないんじゃないかなと勝手に考えていました。
そして少年エレンと始祖ユミルが並んで立っていたシーンをもう一度見ても、やっぱり私は2人が強すぎる怒りによって囚われているように見えました。
何かに対して強い負の感情を抱いているときって周りが目に入らなかったり、その感情に執着して抜け出せないことがありますよね。
私には2人がそれに陥っているように見えたんです。
だからこそエレンの言う「自由」って何だろう、とひたすらに考えてみました。
私が思う「自由」は何だろうとふと思って考えてみても、すぐには浮かびませんでした。意外と難しいんですよね、こういうものを考えるのって。
エレンは何をするにも自由だと言い、ずっと壁の中に閉じ込められていると感じていたエレンにとって誰にも何にも制限されないことが「自由」ということなのかな?と考えました。
もし地鳴らしをしている今エレンが「自由」だと感じていたとして、果たしてそれは自由なんですかね。
「誰にも何にも制限されない」ためにその対象を全て消し去れば自由がやってくるのでしょうか。
それって自由なんでしょうか。
哲学的になると一気に難しくなりますよね…でもエレンが何に対して「自由」という言葉を使っているのか理解することが、彼の行動の意味を知ることになると思うんです。
おそらくすぐには答えは出ないので後編までずっと考えることになると思いますが、諦めずに考えてみたいと感じました。
ここで、考えても仕方のないことについて語るとするとファルコの言葉ですね。
ジークの記憶で空を飛んでいて、ファルコにも出来そうな気がする記憶とは一体なんぞや、ということです。
巨人の力の特徴とやらが関係してそうなのは分かるんですよ。
アニは他の巨人の力を発現しやすいため色々飲まされたと言いましたが、そのあとにガビが「何とかなるかもしれない」と言いました。
…全く分からない、閃かない、お手上げ。
獣の巨人に特異な特徴ってありましたっけ?物をぶん投げる以外にありました?
唯一、ジークの記憶とは全く別でずっと「なるほど」と思っていたことがあって、その言葉が今になってカギじゃないか?と思うことがあるのですが…
海外のリアクターの動画を見るのが好きなのですが、ファルコが顎として港で戦っていたときに「ずっとファルコの名前が気になっていたけどこの見た目で納得だよ」と言っていた方がいたんですよ。
私は見た目がポルコとは違って鳥っぽいなと思っていたのですが、ファルコっていうのが「ファルコン」じゃないかって受け取っていたんですよねその方。
ファルコンって日本語だとハヤブサとか鷹になるんですが、確かに見た目が鳥っぽいというのと一致している気がしまして。
そして英語で調べると猛禽類を「ファルコ」というそうなのでファルコの顎の姿は鳥だと考えて良さそうなんですよね。
ということはファルコが巨人の姿で飛んでいって戦いに参加するのか?!というファンタジー要素を考えついたものの「そんなわけないよね」となりました。
…だから何だと言われたらそれまでな情報です。(笑)
でもここで空を飛んでいる記憶と出たので思い出して、何か関係があるのかしらと思った次第です、以上です…
あと気になるのはスラトア要塞に向かう列車にいた謎の少年ですよ。
あの登場の仕方で特に何も関係ないただの少年だとしたら、見事に視聴者を騙すことに成功していますよ。
ただ今ある情報だけでは何も判断できないので、気になるということだけここに残しておこうと思いました。
個人的に「難しいなあ」と感じたのはキヨミの言葉でした。
「損得なく他者を尊ぶ気持ち」
これおそらく難しいです。何度か言っていますが人間は勝手な生き物なので、自分が1番だし自分が困っているときは他者を助けるという発想すら浮かばないこともあります。
それと似ていて、損得なく他者を尊ぶというのは自分の利益にならない可能性があるのでなかなか行動に移すのが難しいと思うんですよね。
ただ難しくても努力はできる。
「この人を助けたら褒美をもらえる」とか「この人を助けたら金が減る」とか、そういうのを無しにして見返りを求めない。
重いものが運べない人が困っていたら自分が代わりに運ぶ。
物を落とした人が気付いてなければ拾って渡す。
些細に感じるけどこれも同じことだと思っています。
そして自分と違う意見や信念を持った人と出会ったときも同様に、話を聞き、なぜそう考えているのかを理解し、同意が必要ならどちらも納得できるようお互いを尊重する。
言葉にすると簡単そうに聞こえても、実際自分がこの状況にいてお互いが納得するまで話し合うってかなりの労力が必要な気がします。
それでもキヨミの言葉が大切だなと思うのは、そうしなければ何も始まらないと思うからです。
難しいけど、その努力をしないといつまで経っても先には進めませんからね。
その難しさを進撃の巨人はまさに私たちに教えてくれていると思っています。
…話し合ってないじゃんと言われればそれまでですが…
でもだからこそ話し合いは必要なんだなと少なくとも私は感じました。
進撃の巨人の世界では対話が少ないと個人的には思っていて、それはパラディ島が置かれていた状況を考えても理解できます。
視聴者目線で語ると世界が先に歩み寄るほかなかったよね、でも歩み寄るのではなく消した方が早いと思って攻撃したよね、となります。
当事者目線で語ると壁の中から外には出れなくて巨人という生物に喰われるのが日常の中で突然あなたたち襲ってきたよね、となります。
その中にエレン・イェーガーがいて、進撃の巨人の力が怒りに燃えるエレンに渡ってしまって紆余曲折あって世界に復讐しにきたよね、が今ですよね。
何だか「こうなってしまったら元も子もないよね」と教えてくれる気がしました。
実行するのは難しいけど意識して努力するのは大切だなと教わりました。
…ごめんなさい、これ中編になりますねこの調子だと…(笑)
次回こそ後編になる予定なのでもうしばらくお付き合いいただけると嬉しいです。
今回も読んでいただいてありがとうございました。
はる子